仕事でメモを取らない人が信頼を失うのは、礼儀の問題ではありません。指示を出した側から見て、本当に伝わったのか、忘れずにやってもらえるのかを確かめる手段がないからです。確かめられない相手には、途中で何度も確認したり、最後にやり直しを頼んだりする手間がかかります。その手間の分だけ、仕事を任されにくくなります。
直し方は、メモを取る姿勢を見せることではありません。聞いた内容を復唱し、その日のうちに文字で送り返すことです。送り返しがあれば、相手は伝わったことを確かめられ、食い違いがあればその場で直せます。ここでは、覚えておけない理由、書き留める項目、送り返す文面の型を順に整理します。
口頭の指示は、なぜ覚えておけないのか
「その場では分かっていたのに、あとで思い出せない」のは、記憶力の個人差だけの話ではありません。
人が頭の中に一度に置いておける情報の量には限りがあります。心理学者の Nelson Cowan は 2001 年の論文(Behavioral and Brain Sciences 誌)で、各種の実験の結果をまとめ、短い時間に保っておける量はおおよそ 3〜5 個のまとまりだと論じました。
仕事の指示は、この量をすぐに超えます。たとえば「A 社の見積もり、先月の版をもとに数量を 2 割増やして、金曜までに課長経由で出しておいて。単価は据え置きで」という一言には、相手先、元にする資料、変える点、期限、出し方、変えない点と、6 つの要素が入っています。話を聞いている間は分かっていても、別の仕事に移った途端に、どれかが抜け落ちます。
もう 1 つの理由は、「分かりました」は受け取ったことしか伝えないという点です。何をどう理解したかは相手に見えません。理解が食い違っていたことが分かるのは、成果物が出てきたときです。その時点では、やり直しの手間が一番大きくなっています。
つまり、メモを取らないことが問題なのではなく、理解した中身を相手に見せていないことが、信頼を下げています。メモは、そのための材料です。
覚えておくか、書き留めるかの見分け方
すべてを書き留める必要はありません。次の表を目安にします。
| 書き留めなくてよいもの | 書き留めるもの |
|---|---|
| その場ですぐ終わる依頼(「その資料取って」) | 期限が今日より先にある依頼 |
| 要素が 1〜2 個の依頼 | 数字・日付・固有名詞が入る依頼 |
| 自分だけで完結し、相手に報告しない作業 | 他の人に渡す成果物がある依頼 |
| 雑談や背景の説明 | 「いつもと違う」やり方の指示(例外・条件付き) |
自分の聞き方を点検するなら、次の項目を確かめてください。
- 指示の最後に、自分の言葉で復唱しているか
- 期限を「いつまでに」ではなく、日付と時刻で確かめているか
- 「何ができたら終わりか」を聞いているか
- 分からないときに誰に聞けばよいかを聞いているか
- 大事な指示を、その日のうちに文字で送り返しているか
聞くときに書き留める 5 つの項目
口頭で指示を受けるときは、次の 5 つを埋めることだけを意識して聞きます。話を全部書き写そうとすると、書くことに気を取られて聞き漏らします。
- 目的:何のための作業か(例:来週の商談で使う)
- 成果物:何を、どの形で渡すか(例:見積書の PDF を課長に)
- 期限:日付と時刻(例:10 月 2 日 金曜 15 時)
- 基準:変える点と変えない点(例:数量 2 割増、単価は据え置き)
- 相談先:迷ったとき誰に聞くか(例:単価の件は営業事務の佐藤さん)
埋まらない項目があれば、その場で聞きます。「期限は金曜の何時ごろまでですか」「単価はそのままでよいですか」と聞くのは、理解が浅いからではなく、後の手戻りを防ぐための確認です。
聞き終えたら、5 つを短く復唱します。「来週の商談用に、先月の見積もりをもとに数量を 2 割増やして、単価は据え置きで、金曜 15 時までに課長経由で出します。単価で迷ったら佐藤さんに聞きます」。言い直している途中で、相手が「あ、15 時じゃなくて昼まで」と訂正してくれることがあります。これが、口頭の段階で食い違いを見つける一番安い方法です。
その日のうちに文字で送り返す
復唱しても、口頭のやり取りは後から確かめられません。大事な指示は、その日のうちにチャットかメールで送り返します。
先ほどの A 社の見積もりの件、次のとおり進めます。 ・内容:先月の見積もりをもとに、数量を 2 割増(単価は据え置き) ・期限:10 月 2 日(金)12 時までに、課長経由で先方へ ・単価で迷った場合は、佐藤さんに確認します 違っている点があればお知らせください。
ポイントは 3 つです。
- 5 つの項目を、箇条書きで短く書く。 相手は 10 秒で読めて、違いがあれば一目で気づけます。
- 最後に「違っている点があればお知らせください」と添える。 相手に返信の手間をかけさせず、違っているときだけ返事をもらう形にします。
- 途中で指示が変わったら、変わった点だけを送る。 「期限が 2 日 12 時から 1 日 17 時に変わった件、了解しました」と差分を残すと、どの時点で何が決まったかが追えます。
指示がたびたび変わって振り回されている場合の記録の残し方は、指示がころころ変わる上司への対応で詳しく扱っています。報告を数字と事実で組み立てる型は、不機嫌な上司への報連相も参考になります。会議で決まった複数の ToDo をまとめて管理する方法は、打ち合わせの ToDo をその場でチケットにする手順にまとめています。
労働条件に関わる話は、会社に書面を求める
口頭で伝えられた話の中に、自分の労働条件に関わるものが含まれることがあります。勤務地の変更、担当業務の変更、賃金、労働時間などです。
こうした条件は、自分のメモや送り返しで済ませるものではありません。労働基準法第 15 条は、使用者が労働契約を結ぶときに労働条件を明示することを定めており、労働基準法施行規則第 5 条は、契約の期間、就業の場所と従事する業務、始業と終業の時刻や休日、賃金の決め方と支払い方、退職に関することなどを、原則として書面で渡すよう定めています(本人が希望すれば、電子メールなども使えます)。2024 年 4 月からは、就業の場所と業務について「変更の範囲」も明示する事項に加わりました(厚生労働省「2024 年 4 月から労働条件明示のルールが変わります」)。
口頭で条件の変更を告げられて、書面と違うと感じたときは、まず会社に書面での説明を求めてください。判断に迷うときは、各都道府県労働局や全国の労働基準監督署内などに設けられた総合労働相談コーナーに無料で相談できます。個別の法的な判断が必要なときは、弁護士に相談してください。
実行するときの落とし穴
書くことに夢中で、聞けていない。 メモは 5 つの項目を埋める分だけで十分です。相手の顔を見て聞き、項目が埋まったかを確かめる時間を優先します。
メモが散らばる。 手帳、付箋、スマートフォン、チャットの下書きにばらばらに書くと、書いたこと自体を忘れます。送り返したチャットのやり取りを「正」として、そこに集めます。
送り返しが詰問のようになる。 「言いましたよね」「念のため証拠として」といった言い回しは、相手に身構えさせます。送り返しは自分の理解を確かめてもらうためのもので、相手を縛るためのものではありません。
自分の解釈で要約して、既成事実にする。 相手が言っていないことを送り返しに書き足すと、食い違いが文字で残ります。分からない点は、書き足さずに質問として書きます。
何度書き留めても抜け落ちることを、一人で抱える。 仕組みを整えても、仕事以外の場面でも忘れ物や約束の抜けが続き、生活に困りごとが出ているなら、一人で原因を決めつけないでください。かかりつけ医や心療内科・精神科に相談することができます。都道府県・指定都市が設けている発達障害者支援センターも、職場で困っていることの相談を受け付けています。
メモを取ることの目的は、忘れないことだけではありません。理解した中身を相手に見せて、食い違いを早いうちに直すことです。次に口頭で指示を受けたら、5 つの項目を復唱し、その日のうちに箇条書きで送り返してみてください。ほかの記事はビジネス基礎の記事一覧にあります。



