転職を考え始めて、まず言われるのが「軸を決めましょう」です。ところが、いざ考えても言葉が出てきません。やりたいことが明確にあるわけでもなく、いまの仕事が嫌いというだけでもない。
軸が決まらないのは、自己分析が足りないからではありません。比べるための物差しを決めていないからです。物差しがないまま求人を眺めると、条件のいい求人を見たときだけ心が動き、次の日には別の求人に動きます。この記事では、不満を条件に変換する手順、応募前に数字で固定する3つの基準、そして公的なデータを使った候補の絞り込み方を順に整理します。
「やりたいこと」から始めない
軸は、やりたいことから作らなくて構いません。20代でやりたいことが言語化できている人は多くありません。代わりに、いまの不満から始めます。
紙を1枚用意して、いまの職場で嫌なこと、割に合わないと感じることを全部書き出してください。整理しなくて構いません。書き出したら、1つずつ「次の職場に求める条件」に言い換えます。
| 不満 | 条件への言い換え |
|---|---|
| 残業が多い | 月の残業時間が◯時間以内 |
| 給料が上がる見込みがない | 年収◯万円以上/昇給の基準が公開されている |
| 何をすれば評価されるか分からない | 評価基準が文書化されていて、面接で見せてもらえる |
| 同じ作業の繰り返しで力がつかない | ◯◯の経験を積める職種 |
| 相談できる人がいない | チームの人数が◯人以上/教育担当が決まっている |
この作業の狙いは、求人票と突き合わせられる形にすることです。「風通しのいい会社」は求人票では確認できませんが、「月の残業時間20時間以内」は確認できます。確認できる形になったものだけが、軸として機能します。
ここで「嫌なことの裏返しで軸を作ってよいのか」と迷う人がいます。構いません。避けたいことがはっきりしているのは、判断材料としては十分に強い情報です。
応募前に数字で固定する3つの基準
書き出した条件は、たいてい10個以上になります。全部を満たす求人はまず出てきません。そこで、譲れないものを3つだけ選び、数字で固定します。
固定するのは次の3つを推奨します。
1. 職種
入社後に自分の努力で変えるのが、いちばん難しい項目です。配属や異動は会社が決めます。「営業」なのか「営業企画」なのか、「ITサポート」なのか「インフラ運用」なのか、求人票の職種名だけでは中身が分かりません。厚生労働省の職業情報提供サイト「job tag」(日本版O-NET)を使うと、約500の職業について、仕事内容を細かく分解した「タスク」や、必要な「スキル」を確認できます。自分が受けようとしている職種のタスク一覧を見て、いまの経験とどこが重なるかを確かめてください。
2. 年収の下限
「できれば上がってほしい」ではなく、「これを下回るなら受けない」という金額を1つ決めます。下限を決めておかないと、選考が進んだ後に条件を見て悩むことになり、そこまでの時間が惜しくなって判断が鈍ります。
3. 月の残業時間の上限
こちらも数字にします。求人票の記載と、面接で確認した実態がずれることはありますが、数字を決めておけば「その点はどうですか」と聞く動機になります。聞いたときの答え方そのものが、判断材料になります。
この3つ以外の条件は、優先順位をつけた「あると嬉しいもの」として扱います。3つに絞る理由は、絞らないと比較ができないからです。
公的なデータで候補を絞る
条件が決まったら、候補を絞ります。ここで役に立つのが、誰でも同じものを見られる公的な統計です。
規模と業種で、定着のしやすさは大きく違う
厚生労働省が令和7年10月24日に公表した「新規学卒就職者の離職状況(令和4年3月卒業者)」によると、大学を卒業して就職した人の3年以内離職率は33.8%でした(前年度と比べて1.1ポイント低下)。
この数字は、事業所の規模によって大きく変わります。
| 事業所規模 | 大学卒の3年以内離職率 |
|---|---|
| 5人未満 | 57.5% |
| 5〜29人 | 52.0% |
| 30〜99人 | 41.9% |
| 100〜499人 | 33.9% |
| 500〜999人 | 31.5% |
| 1,000人以上 | 27.0% |
産業別に見ると、離職率が高い上位5つは、宿泊業・飲食サービス業55.4%、生活関連サービス業・娯楽業54.7%、教育・学習支援業44.2%、医療・福祉40.8%、小売業40.4%でした。
この数字は「その業界に行くな」という意味ではありません。 集団の平均であって、個々の会社の話ではないからです。ただし、離職率が高い領域では、辞める理由になりやすい何か(労働時間、休日、収入の水準)が構造的に存在する可能性が高いと言えます。その領域を候補にするなら、面接で確認すべき点が最初から見えているということです。
転職で賃金がどう動くかも、事前に確認できる
厚生労働省「令和7年雇用動向調査」によると、令和7年1年間に転職した人のうち、前職と比べて賃金が「増加」した人は全体で40.8%、「減少」は31.0%、「変わらない」は25.5%でした。
年齢別に見ると、20〜24歳は「増加」55.2%・「減少」17.5%、25〜29歳は「増加」49.8%・「減少」23.9%です。20代は、増えた人の割合が減った人を大きく上回る年代です。ただし全員ではありません。20〜24歳でも6人に1人以上、25〜29歳では4人に1人近くが下がっています。同じ20代でも、後半のほうが下がる人の割合は高くなります。
同じ調査で、25〜29歳が前職を辞めた理由を見ると、次のようになっています(「その他の個人的理由」を除いた上位)。
| 前職を辞めた理由(25〜29歳) | 男性 | 女性 |
|---|---|---|
| 給料等収入が少なかった | 13.1% | 13.4% |
| 労働時間、休日等の労働条件が悪かった | 10.5% | 14.1% |
| 職場の人間関係が好ましくなかった | 10.7% | 10.5% |
| 会社の将来が不安だった | 11.0% | 4.1% |
収入・労働条件・人間関係の3つで、男女とも3割以上を占めます。 自分の辞めたい理由がここに入っているなら、それは特殊な悩みではありません。面接でも説明しやすくなります。
賃金の話をもう少し細かく見たい場合は、給料が上がらない理由を数字で比べるにまとめてあります。
社内評価と市場価値のずれを確かめる
軸を決めても、自分が応募できる位置にいるかは別の問題です。ここで社内評価と市場価値の違いが効いてきます。
社内評価は、その会社の基準と人間関係の上で決まります。市場価値は、他社が同じ経験にいくら払うかで決まります。社内で評価されている働きが、自社独自のルールや調整に依存していると、外では同じように評価されません。
確かめ方は単純です。自分の実績を、社名・部署名・社内システム名・社内の呼び名を一切使わずに説明してみてください。説明が続かなくなったところが、社内に依存している部分です。この切り分けの詳しい手順は会社の肩書きが外部で通用しない理由で扱っています。
ずれが大きいと分かったときも、すぐ困るわけではありません。20代なら、いまの職場にいるあいだに埋められる余地があります。会社の中で社外にも通じる経験を積む方法も合わせて読んでみてください。
決めた軸を運用する
軸は決めて終わりではなく、応募のたびに使う道具です。
3つの基準を満たさない求人は、機械的に見送る。 面白そうに見えても見送ります。例外を1つ作ると、以後の判断が全部揺れます。
見送った求人を記録しておく。 3か月ほど続けると、「この条件では候補がほとんど出てこない」ことが分かる場合があります。そのときは、条件を下げるのではなく、どの基準を1つだけ緩めるかを決めます。
基準を緩めるときは、理由を書いておく。 後から「なぜこの会社を受けたのか」を自分で説明できるようにしておくと、内定が出たときの判断が速くなります。
面接で確認する質問を、基準と対応させておく。 年収の下限を決めたなら「評価によって年収がどう動くか」、残業時間の上限を決めたなら「直近3か月の平均残業時間」。基準と質問が対応していれば、聞き忘れがなくなります。
気をつけたいところ
転職しない選択肢も残しておく
軸が固まると、いまの職場でその条件を満たせないかを確認できるようになります。職種を変えたいなら社内公募、残業を減らしたいなら業務の切り分け。動かずに済むならそのほうが早いことも多いので、両方を並べて比べてください。判断の順序は残るか動くかの判断基準に整理しています。
他人の転職談を基準にしない
同じ年次の知人が高い年収で転職した話は、判断の材料にはなりません。職種も業界も経験も違うためです。比べる相手は、誰でも同じ条件で確認できる公開の求人と統計にしてください。
統計を個別の会社の予測に使わない
離職率も賃金変動も集団の平均です。「大企業だから安心」「この業界だから危ない」という使い方はできません。使い方としては、確認すべき点を事前に知るための材料にとどめてください。
書き出しを一度で終わらせない
最初に書いた不満のリストは、1か月後に見ると変わっていることがあります。転職活動の途中で見直す時間を取ると、基準の精度が上がります。
軸は、意志ではなく手続きで作れます。不満を条件に言い換え、そのうち3つを数字で固定し、公的なデータで候補を絞る。この順番なら、やりたいことが決まっていなくても前に進めます。



